摩尼山吉祥院

海外との交流

World Peace Conference 2018(世界平和会議)参加報告

スウェーデンのストックホルムとフィンランドにおいて、6月29日から7月3日にかけて開催されたWorld Peace Conference 2018に、高萩市大高寺住職と当山住職が日本代表として招待された。この国際平和会議は、ヨーロッパ、国際青少年協会、ワット Buddharamaスウェーデン、トラック・ネパール・タイ宣教師によって主催されたもので、年齢制限かなく、世界中から500人の代表者が参加した。私たちは、タイ国寺院(ワットサケット寺)との交流が、縁となり招待にいたったもので、これまでの実績(プミポン国王の通夜参列や追悼供養、ワットサケット寺の住職の国葬参列、カンチャナブリ海外慰霊法要など)によるものである。
6月30日午前中、ストックホルムのマリオットホテルでスウェーデン・ノルウェー・ネパール・台湾・アメリカ・ミャンマーなどの宣教師や各国で世界平和活動を行っている方より、それぞれの活動発表があった。昼食をはさみ、午後には、私たちを含め各国宣教師の紹介や挨拶など小会議が開催された。その後、ホテルから世界平和会議の会場となるストックホルム市役所まで、平和パレードが参加者によって行われた。ストックホルム市役所到着後、グループにて写真撮影や、意見交換など各々交流が深められた。ほとんど英語での会話であったが、私たちは、ミャンマーの僧侶の招待により参加していた現地居住の日本人と知り合い、容易に宣教師や各国の参加者との交流ができた。午後5時よりストックホルム市役所(ノーベル賞受賞者祝賀会を行っている会場)において世界平和会議が開催された。ここでは、地球規模での平和活動や平和な世界を作るための解決策など、それぞれの活動を通しての問題点について語られた。最後に根本的な解決策としての宣言がまとめられ、各国政府や他のステークホルダーの政府などに宣言書が提出されることとなった。会議の最後に、各国の平和活動推進者や国際交流推進者などの表彰があり、大高寺住職も海外慰霊法要等国際交流の実績により、特別表彰を壇上にて受けた。
7月1日から3日は、船でフィンランドを訪問、北欧の生活や歴史的建造物、そして文化の一端に触れ会うことができた。
4日の朝、帰路についたが、時差の関係もあり、5日の朝、成田空港に到着した。今回の国際平和会議に参加できたことは、国際的ネットワークを作るうえで大変勉強になった一週間であった。
世界平和会議参加証
会議の様子
各国の出席者と
各国の出席者と(2)

プミポン国王の追悼およびタイ佛教との友好交流

平成30年3月26日から29日までの日程で、茨城県布教師会の有志、高萩市の大高寺、古河市の宝蔵寺、筑西市の延命寺、水戸の六地蔵寺、そして当山の住職を含む6名にて、タイ国を訪問した。

今回の目的は、昨年亡くなられたタイ国のプミポン前国王の追悼と、タイ仏教僧団(サンガ)の最高指導者になられたワット・ラーチャボピット寺の住職、ソムデットプラマハームニウォン僧に謁見するためである。

一行はまず、国王の遺骨が安置されるワット・ラーチャボピット寺にて、偉大なるプミポン・アドゥンラヤデート(ラーマ9世)前国王に哀悼の意をささげるべく追悼法要を行った。

その後、新しく第20代大僧正(ソムデットプラサンカラート)になられたソムデットプラマハームニウォン仏法王に謁見した。
初めて会ったにもかかわらず、私たちを快く向かい入れ、気さくに話しかけてくれた。別れ際、「日本仏教の発展、そして日本仏教が未来まで続くための一助になってほしい。その願いの為に私は祈る」といわれ、私たちに向かって自ら経を唱えてくれた。タイ佛教のトップの方が訪問した6名に向かって、目の前で経を唱えてくれたことに、全員が感激・感動をした。私たちも仏法王の健康とタイ佛教の発展を願い、経(奠供)を唱えた。

そして、今回私たちの行動を援助してくれたワット・サケット寺に向かった。ワット・サケット寺において、プミポン前国王と前住職チャオパクン ソムデット プラブッターシャン師(泰の法王権) の追悼法要を理趣三昧にて行い、当寺院との旧交とさらに暖めることができた。
茨城県布教師会では何度もタイにおいて戦没者法要を実施してきているが、ワット・サケット寺の前住職には、いつも援助をしていただいていた。

このほか、ワット・リアップ(日本人納骨堂)等、何か所もの寺院において、タイ佛教の発展と日本との友好発展を祈願し、素晴らしい成果を上げることができたと考えている。

■プミポン国王の葬儀について
タイ国民に深く敬愛されたプミポン国王が、2016年10月13日に崩御してから一年。2017年10月25~29日の5日間にかけて、国葬で執り行われた。王宮広場に造営された火葬の儀のための施設「プラ・メルマーツ」周辺にはタイ国内外より約20万人が詰めかけたほか、国内に存在する約900の主要寺院においても一般参列による献花が行われ、一年の喪に服したタイ国民たちや世界中から訪れた約1700万人もの人々が、プミポン国王を追悼した。
火葬施設は黄金色で、基部が60メートル四方、高さが50・49メートル。須弥山をイメージし、様々な装飾が施された。
葬儀当日は公休日となり、多くの国民が黒い服を着用して弔慰を示した。王宮前広場周辺には20万人を超える国民が集まり、敬愛を集めた前国王に別れを告げた。地方の主要都市でも献花台が設けられ、多くの国民が花を捧げた。
翌27日朝、前国王の長男のワチラロンコン国王が火葬施設でお骨拾いの儀を行った。遺骨と遺灰は王宮内の寺院と宮殿に収められた。
 
■タイ国仏法王について
タイ国仏法王ソムデットプラマハームニウォン僧は、1927年、西部ラチャブリ県生まれ。10歳で沙弥(しゃみ)となり、21歳の時、ラーチャボピット寺で出家した。タイの2大仏教宗派の1つである、タマユットニカーイ派に所属している。
先代の第19代大僧正は、2013年に100歳で死去し、以来、大僧正位は空席となっていた。従来のサンガ法では、高位の僧侶で構成されるサンガ最高評議会が大僧正候補を選出し、首相が候補者の任命を国王に要請、国王が任命する形式だった。ところが、プラユット暫定軍事政権は、突如として 大僧正の選任を国王に一任するようサンガ法を改正。これを受けるかたちで、ワチラロンコン国王がソムデットプラマハームニウォン僧を大僧正に任命した。

■ワットサケット寺について
ワット・サケットは、丘の頂上には黄金のタイルを貼った仏塔がある。360度の展望があり、バンコク市街を眺めるのに絶好の場所。ラマ3世時代(江戸時代末期)に建てられたワット・サケット ラッチャマハーウィハーン。その名のごとく黄金の丘にある寺院。平坦な土地が続くバンコクではひときわ目立つ存在だ。高台の入口には318段あるらせん状のコンクリートの階段が広がっている。途中ラカン(鐘)をついたりドラをたたいたりして登る。頂上には黄金の仏塔がそびえており、圧巻。遠くにはラマ8世橋も見ることができ、バンコクの街並みをパノラマ一望できる丘。
タイの仏法王と共に
前国王と前ワットサケット住職の追悼法要
前ワットサケット住職の蝋人形と共に
ワットサケット寺にて

台湾慰霊法要・弘法大師御影供法要

平成29年度真言宗豊山派茨城県布教師会(大山会長)主催の海外戦没者慰霊法要並びに弘法大師御影供法要が、台湾にて当山住職を含む22名の僧侶にて実施され無事成満することができた。

海外戦没者慰霊法要

6月14日、日本軍兵士とともに戦って命を落とした「高砂義勇隊」の慰霊碑(新北市)前にて戦没者慰霊法要を実施する予定であったが、あいにくの大雨により、山の中腹にある慰霊碑での全員による法要は断念。大山会長と当山住職、そして数名の役員が山を登り慰霊碑前にて法要を実施(お経と表白文)、残りの職衆は、慰霊碑に向かってバスからの法要となった。
かつて大日本帝国が台湾を統治していた時代、台湾の山岳地帯に住む原住民を高砂族と総称した。太平洋戦争において、高砂族のジャングルにおける戦闘力の高さに目を付けた日本軍は、高砂族から志願兵を募り特殊攻撃要員「高砂義勇隊」として編成した。
純朴な性質を持ちつつ、勇敢で高い闘争心を持つ高砂族は、日本兵として出撃できることを喜んだ。高砂義勇兵は密林における動物的な感覚を発揮し、足場の悪いところでも行動は俊敏で、その戦闘能力は訓練された日本兵以上であり、連合国軍からは怖れられた。耳がよく、夜目が効き、素足で音もなく夜のジャングルを駆け回ると言われるほどの身体能力の高さは、ジャングルにおける遊撃戦闘で存分に発揮され、連合国軍との火力差から敗走続きであった日本軍に大きな勝利をもたらした。
今回法要は、最初の予定からすると変則的となったが、戦争で犠牲になった方々への鎮魂と世界平和・万民豊楽を祈念するという意味での目的は果たせたと思う。

弘法大師御影供法要

6月15日 高野山真言宗の流れをくむ台湾台北の光明院本堂にて、光明院住職並びに台湾の僧侶とともに、弘法大師御影供法要を実施した。
法要は、二箇法要(奠供・散華・対揚・理趣経)にて、どんよりとした梅雨空の中、真言宗豊山派の素晴らしい声明が山内に響き渡った。お大師様をしのび、その恩徳に報いるための報恩謝徳の法要が台湾の僧侶とともにできたことは意義深いものがあった。
光明院の住職昌大阿闍梨は、1994年2月に出家し、2007年4月に高野山寶壽院にて傳法灌頂を受け、2013年4月高野山真言宗の大僧都を拝命した。2015年9月には、台灣高野山真言宗理事長に就任している。
高砂の慰霊碑前
光明院の御影供法要
光明院の御影供法要

プミポン国王通夜に参列(タイ国)

平成29年1月10日から14日まで、高萩市の大高寺、水戸の六地蔵寺、古河市の宝蔵寺の住職と当山の住職にて、昨年亡くなられたタイ国のプミポン国王の通夜に参列、と同時にワットサケット寺に於いて国王と前住職の追悼法要を理趣三昧にて行った。
仏教国タイは、国民の95パーセントが仏教徒であり、かつ大変な親日国である。以前よりタイ国には海外慰霊法要に訪れており、私たちと大変つながりのある国の一つである。
プミポン国王は、在位70年で国民から大変な信頼を受けていた。現在、故プミポン国王の為に火葬場を造っており、10月ごろ完成予定だという。それまで毎日、通夜が行なわれている。バンコクの街を歩いている人の3割ぐらいの方は、喪に付すため黒い服装をしている。遺体は、王室に安置されているが、王室の周りの道路は黒い服装の弔問の方が列をなし、毎日7万人の方が弔問に訪れている。最大待ち時間が7時間というから驚き。私たちは、タイ寺院の誘導もあり、裏口より5分程度で王の棺の前に到着、時間の関係もあり般若心経一巻を唱えた。その風景が、タイの国営放送で一瞬ではあるが放送された。
「百聞は一見に如かず」という言葉がある。もちろん聞いたり勉強したりすることも大事だが、体験できることが一番、色々な行事に参加できるということが、その人の価値を高めるものであり、幸せにつながっていくものと思う。
今回プミポン国王の通夜に参列し、かつ追悼法要に参加できたということは、大変幸せなことであった。
王宮前にて
ワットサケット寺にて国王の追善法要
ライトアップされたパゴタと共に
ライトアップされたワットサケット寺

海外戦没者慰霊日タイ合同法要 (タイ国カンチャナブリ)

平成26年6月10日、真言宗豊山派茨城県布教師会(井上会長)の主催により海外戦没者慰霊法要が、タイ国カンチャナブリ市の慰霊碑において、日タイ合同で実施された。この法要には、日本国(19名)とタイ国(6名)の僧侶が参加した。この地での法要は、同会において恒例の行事となっており、当山の住職も毎回参加している。
本尊の釈迦如来
寺に寄付する住職

タイの国葬に参列  (ワットサケット寺住職)

平成26年3月9日、ワットサケット寺のチャオパクン ソムデット プラブッターシャン師(泰の法王権)の本葬儀が、タイ国の国葬のもと行われ、当山の住職も葬儀に参列した。ソムデット師は、タイ国の高僧の一人で全世界に弟子を持ち、タイの国王からの信頼も厚かった。葬儀には、全世界から7万人の僧侶等が参列した。ソムデット師は、平成25年8月に遷化され、それ以降、毎日ワットサケット寺において通夜が行われてきた。3月8日は最後の通夜ということもあり、日本国を代表し真言宗豊山派の僧侶14名が参列した。タイ国の読経の後、各国の仏教僧侶により通夜の経が唱えられた。私たち日本国は、各国にさきがけ最初に法要を行うことができた。
3月9日国葬の当日は、ワットサケット寺院からワットテップシリン寺院にある火葬場まで、約2キロの道のりを葬列パレードが実施された。最初に遺影を乗せたオープンカー、そしてタイの高僧を乗せたオープンカー、そのあとタイの僧侶数千人が徒歩にて進列、各国の僧侶を乗せたオープンバスが連なる。私たちは韓国の僧侶と一緒に4号車に乗り込み進列。沿道には、切れることなく信者や学生が手を合わせ見送っていた。
午後5時ワットテップシリン寺院にある火葬場メーンルァンナァパッパーイッサリヤーポーンにて、国王の代理者である王女による献花の後、国の役員、タイ国僧侶、各国僧侶の順にて献花が行われ、荼毘にふされた。
国葬の次の日、タイの新聞の一面に葬儀の様子が掲載され、その新聞を見るといかに偉大な僧侶であったか伺われる。この国葬に当山の住職が参列できたのも海外慰霊法要時にワットサケット寺に参拝し住職と交流があったからであり、貴重な体験の一つとなった。
遺影を乗せたオープンカー
オープンバスに乗る住職
2キロに渡る沿道の参列者
全世界から集まった僧侶たち 火葬場にて

海外戦没者慰霊日タイ合同法要    (タイ国カンチャナブリ)

平成24年6月12日、海外戦没者慰霊法要が、タイ国カンチャナブリ市の慰霊碑において、日タイ合同で実施された。この法要は、真言宗豊山派茨城県布教師会(渡辺会長)の主催によるもので、当山の住職も事務局長として参加し、総勢日本国(21名)とタイ国(5名)の僧侶により行われた。この法要は、宗門内の戦没者の方々だけではなく、国籍や思想、信条の違いを超えて、戦争によって尊い命を失われたすべての戦没者を追悼するためのものである。(カンチャナブリ慰霊碑には、泰緬鉄道建設に従事し、そのなかばで病を得てたおれた英、蘭、豪軍の捕虜と墓一つない労務者、日本軍将兵、軍属など数万にのぼる人々の冥福をお祈りするために建てられた。この碑の背面には「泰緬甸連接鐵道建設間不幸病ヲ得テ斃レタル南方各國勞務者及俘虜の為此ノ碑ヲ建テ恭シク其の霊ヲ慰ム 昭和19年2月 日本軍鉄道隊」と記載されている。)
6月11日、成田国際空港よりタイ国スワンナブーム空港に向けて出発、同日バンコクに到着、翌日の12日朝、タイ国法要に協力を頂いたワットサケット寺にて法楽、その後、住職に拝謁、会長より今回の法要についての趣旨説明と門下のワットタイ寺の僧侶に法要参加の協力を依頼し、カンチャナブリ市へバスにて移動。ワットタイ寺で昼食の後、歓迎セレモニーと本尊法楽を実施。その後、ワットタイ寺の僧侶5名と慰霊碑において日タイ合同の法要を実施した。
私たち布教師にとって今後とも戦争のない平和な社会の実現に向けて、布教活動を実践していくことはとても重要なこと。当山の住職も本会の本部役員として先頭になって、このような活動を実施している。
カンチャナブリ慰霊碑にて法要
法要を進行する住職
ワットサケット寺から記念品を受け取る住職
寺院にて法要

海外テロ戦没犠牲者慰霊法要   (スリランカ仏歯寺)

テロ戦没犠牲者海外慰霊法要が、平成22年6月16日、スリランカの仏歯寺において実施された。この法要は、当山住職をはじめとする真言宗豊山派茨城県布教師会有志により行われたものだ。
スリランカでは、仏教系のシンハラ人と、ヒンドゥー系のタミール人の争いの続き、仏陀の犬歯を祀る仏歯寺も、1998年に爆弾テロで一部が破壊されている。私たちは、以前よりこのスリランカ仏教の象徴である仏歯寺において、「テロ戦没犠牲者慰霊法要」と「スリランカと日本の友好、平和のシンボルとして釈迦如来の奉納」を実施すべく、プージャー担当僧侶と協議を進めてきた。両件について承諾が得られ、日本の僧侶による法要実施と相成った。
我々は、山門より厳かに進列し(会奉行・讃頭・堂達・職衆・大導師)、報道カメラの見守る中、本堂2階の仏歯まつられている堂の下陣にて、テロ戦没犠牲者慰霊法要を行った。
その後、友好のしるしとして日本より運ばれた仏像(釈迦如来)が境内を練り歩き、本堂の隣にある建物に奉納され、そこで開眼法要を実施。地元でも私たちの好意を大変喜び、スリランカと日本の友好を前面に打ち出し、現地の新聞・テレビ等で大きく取り上げられた。
行道にて仏歯寺へ
仏歯寺に仏像奉納
スリランカの子どもたちの歓迎式
歓迎式典に参加する住職

海外戦没者慰霊日タイ合同法要    (タイ国カンチャナブリ)

真言宗豊山派茨城県布教師会(小野会長)結成50周年記念事業の一環として、海外寺院・僧侶との交流、そして布教活動を実践のため、平成21年6月9日タイ国のカンチャナブリ慰霊碑において戦没者慰霊法要を実施。当山の住職も、事務局長としてこの法要に参加した。
法要は、ワットサケット寺院のチャオパクン ソムデット プラブッターシャン師(泰の法王権)のご協力のもと、日本国とタイ国の合同で実施。まず、タイ国の僧侶により、経が唱えられ(約30分)、その後日本の僧侶により声明(二箇法要)が唱えられた。
この法要で何よりも嬉しかったことは、タイ国ワットサケット寺院と地元カンチャナブリのワットタイ寺院の方々のご助力により、地元の人々の参列のもと、日タイ合同で犠牲者の霊を慰められたことである。
現在も世界のどこかの国で紛争・戦争・内乱がおきている。その国の思想や考え方もあるが、罪もない多くの一般市民が犠牲者となっていることは間違いのない事実。このような世界情勢を見るとき、私たちが何よりも心に思うことは、人類の平和と住みよい明るい社会の実現であると感じた。
私たちは、この法要を通じて、今後とも戦争のない平和な社会の実現に向けて布教活動を実践していきたいと改めて心に誓った。
茨城県布教師会 ワットサケット寺にて
ウォーキング・ブッタの前で法要
カンチャナブリ慰霊碑にてタイの僧侶と
合同法要に参加する住職

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