~参拝中にされた住職のおはなし~
(参拝の背景や各寺院への理解を深めるために参考にしてください)
今回、参加者の約半分の方が初めてということでありますので、お参りいたします長谷寺についてお話を申し上げます。長谷寺は、千三百年の歴史を誇る名刹で、西国33観音霊場の第8番札所となっています。境内には、四季折々に花が咲き「花のみ寺」と呼ばれています。とりわけ4月下旬から5月上旬にかけて咲きそろうボタンは、150種7000本にもおよび、ゴールデンウイークには、ボタン見物を兼ねた参拝者で大変にぎわっています。
先日、4/26日に全国支所長会が東京でございました、その際、管長猊下のお話ですと今年は牡丹の花が例年より10日ほど早く咲き、先日の大雨でお山の牡丹は、ひん死の状態、ゴールデンウイークどうやって参拝客を迎えようかと思っていると話しておりました。実際には、鉢物を数百並べてしのいだようであります。そのほかにも、春は、桜・シャクナゲ・つつじ、夏は、アジサイ、秋は、紅葉、冬は、寒牡丹と文字通り花の途切れる間がありません。これらが、花のみ寺と言われるゆえんでもあります。
長谷寺に参りますと、まず仁王門が階段の上にそびえ立ち、そこから続く百八間・399段の登廊はがあり、登りきったところにある大悲閣(国宝の本堂)には、本尊十一面観音菩薩がまつられ、霊験あらたかで古来より多くの信仰を集めています。
長谷寺の観音様は、身の丈が3丈3尺6寸(10メートル18センチ)、背中の光背は4丈1尺(12メートル30センチ)と、木彫りのみの仏さまとしては日本一の大きさをほこっております。
さて、檀信徒の皆様から、よく受ける質問があります。それは「長谷寺は、弘法大師が開かれたのですか」と言うことです。真言宗豊山派の本山ですから、弘法大師が開創されたと思われるのは無理もありません。しかし、実際は違うんですね。長谷寺は、奈良時代686年に道明上人が、天武天皇の御病気の平癒を祈るために、西の岡(現在の五重塔のある当たり)に「銅板法華説相図」という千仏多宝仏塔を安置したことに始まります。弘法大師のお生まれになったのは774年でありますので、それよりも前ということになります。
では、どうして、いつ頃、長谷寺が真言宗豊山派の総本山となったのかというと。
真言宗は、言うまでもなく弘法大師空海様が平安時代の初めに開かれたものです。嵯峨天皇から京都の東寺「教王護国寺」を賜り、その後、高野山を開創されたのです。それから約300年後の平安時代の末に、興教大師覚鑁様が紀州に根来寺を開き、真言の教えを継承します。その後、400年が経過し、戦国時代となり、繁栄を極めていた根来寺は、豊臣秀吉の軍勢に滅ぼされてしまいます。その時の能化、つまり住職だったのが、専譽僧正です。その後、専譽僧正は、秀吉の弟秀長公のすすめにより、豊山長谷寺に入られました。
このように、真言宗の教えが、高野山(弘法大師)から根来寺(興教大師)を経て長谷寺(専譽僧正)に伝わったわけです。
したがって、長谷寺は弘法大師が開かれたわけではないのですが、興教大師と専譽僧正を仲立ちとして間接的にではありますが、大いにつながりがあるということです。
ですから、真言宗豊山派で出している檀信徒のおつとめにも、三祖宝号として南無大師遍照金剛(弘法大師)、南無興教大師(覚鑁上人)、南無専譽僧正とお唱えしているわけであります。